はじめての派遣のお仕事 テスター・デバッガー業務

はじめて派遣された会社は、今はもう他の会社に吸収合併されてしまった外資のコンピュータ製造メーカーでした。当時そのメーカーは、これからDOS/VのPCで日本市場に進出するというところで、日本仕様のデバイスドライバの最終テスト行程にあり、そのテスター・デバッガー要員として仕事に入ったのでした。当然派遣されたときにはそんな事はつゆ知らず、実際に製品が市場に出荷されてから、その事実を知ったのですが。

派遣先の職場環境は、それはもうすばらしい環境でした。

  • エンジニアには普通の事務机が2台L字に並べられているのと同様の広いスペースが割り当てられており、すべてパーテーションで区切られている
  • PCは2台割り当てられ、1台は開発用、もう1台はメールやチャット等組織内コミュニケーション専用にセットアップされている
  • 10BASE2のイーサネットによる構内ネットワークが構築され、その上に無駄なミーティング等せずとも円滑にコミュニケーションをとる事が出来るルールやツール(e-mail、BBS、チャット等)が整備されている※。
※今でこそ当たり前の環境かもしれませんが、それまでスタンドアロンのPCしか扱った事のなかった自分にはカルチャーショックでした。また、これをきっかけにモデムを購入し、自宅でのパソコン通信をはじめたのでした(個人向けインターネット接続が一般的になったのは、その3年後くらいだったかと)。


そしてなんと、上記の環境が社員のみならず派遣で来た自分にもそのまま割り当てられたのでした。まじですかこれ自分が使っていいんですかと何度も聞き直したくらいでした。
働いている人たちも皆、地頭が賢い感じがぷんぷんで、かつ皆が気持ちよく働いている感じがひしひしと伝わってきました。

そんな環境下で自分は、今でいうgoogleに憧れるエンジニアの心情に近い思いを覚えたのでした。


仕事の方はというと、3MODE FDDPC98シリーズDOS/V双方のFDDを読み書き出来るようにする)デバイスドライバのテストをアサインされました。
24時間様々なパターンで連続で読み書きを行うテストプログラムを書いて、それを用いたテストを実施するというもので、テストプラグラムは1ヶ月弱で出来上がり、後はひたすらテストレポートをあげるという楽な内容でした。

これで時給2000円、年収でもゲームソフトの開発をしていた頃に比べ月収は倍、年収換算でボーナスが出ない分を差し引いてもやはり前職の1.5倍近くとなり、まじですか自分一生派遣で良いですと有頂天になっていたところ、なんと初回3ヶ月の更新もされず、突然の派遣終了と相成ったのです(!)

ああ、人生ってホント思い通りに行かないと、またしても世間の荒波に打ちのめされる自分でした…


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