今回のお題はちょっと予定を変更して、こちらの記事を取り上げてみたいと思います。
この記事はかなり心に響きました。何故なら自分も「転職7回目の職場」で似たような経験をしているからです。
■キレ者の社長と神輿担ぎ
このとき勤めていた出向先の社長は、常人の100倍くらい頭の回転が早いんではないかと思うくらいキレの良い人で、かつ仕事以外のところでは大変気さくな方でした。しかし仕事では一切の妥協を許さず、役員だろうが平社員であろうが役職問わず詰めが甘いところがあれば直で社長に締められ、また社長自身もいわゆるワーカーホリックで、自ら「誰よりも自分が仕事をしている」という思いを隠さず、またその仕事っぷりも誰もが認める「隙のない」方でした。
そんな社長のもと、主に創業メンバーや、創業前後から仕事に関わっているメンバーは、社長の才能に惚れ、又は尊敬し、皆で一丸となって時間を忘れ仕事をしていました。自分も当初は「しかし実態はIT土方」に書いたようにしんどい思いをしていましたが、その後「人間「システム監視マシーン」からの脱出」に書いた通り、自分の仕事の進め方を認めてもらえてからは、プロパー社員の皆さんの輪に加わって仕事に突っ走っていました。
業績もボーナスもガンガンあがり、雰囲気としては、お祭りなどで皆で神輿を担いでいるような高揚感に近いものがありましたね。実際には、神輿ではなく「社長」を担いでいたと言う事でしょう。
会社の調子がいい時は、このような勢いで行けるところまで行ってしまえというノリは、個人的には許容されるものだと考えます。
が、それだけで業績が永続的に上がり続けるほど、世の中は甘くありません。例えばリーマンショック等、自社のビジネスに直接影響が無い外的な事象であるにもかかわらず、巡り巡って自社の業績に影響を及ぼす等という事は普通にあり得る事です。
■祭りの終わり
このようなことが起きると、それまで熱くなっていたのがすーっと覚めてしまい、良くも悪くも冷静にモノを判断出来るようになってしまいます。誰しも勝ち馬に乗っている時は明るい将来を夢見て、多少の無理があっても感覚が麻痺するかのごとく勢いで突っ走れるのですが、一度冷静になってしまうと、それが苦痛以外の何者でもなくなってしまうのです。先に取り上げた「転職7回目の職場」でも、業績の伸び方が落ち着いてくるに従い、上記のように感じる社員が増えていき、最終的には中堅社員が纏まって退職していったのではないかと思います。
また、比較的少人数でビジネスをやっているうちは、同じ勢いや志を持って仕事に望む事もそれほど難しくはないのでしょうが、社員数が増えていろいろな思いや背景、事情を抱える人が増えれば増えるほど、仕事に望む姿勢も十人十色となり、経営者の思いを共有する事が困難になると考えられます。
教科書通りの回答であれば、単なる思いだけでは伝わらないところに、仕事へのポリシーやルール等の仕組みを作り、そこに思いをしみ込ませ会社の隅々まで行き渡らせるよう努力するのでしょう。
しかしそのポリシーやルールが「神輿を担ぐ事」を前提にしていると、当然それに乗り切れない人たちも出てくる訳で、そうなるとポリシーやルールを「神輿を担ぐほど負担がかからないよう、山車を引く程度にしておく」ように改めるか、「神輿が担げない人は退場」させるか、または「無理にでも神輿を担いでもらう」のいずれかになると思われます。
■無理矢理祭りを続ける?
具体的には、ひとつ目の「神輿を担ぐほど負担がかからないよう、山車を引く程度にしておく」ようにルールやポリシーが改められることは、経営者のポリシーを曲げる事にもなりかねない為、経営者が交代する等のドラスティックな出来事がきっかけにならないとなかなか起き得ないと考えられます。
二つ目の「神輿が担げない人を退場」させるケースは、給与Downや降格、配置転換等が考えれますが、これは末端の社員に適用される事はあまり無く、管理職以上の職階の人間に適用される事が殆どと思われます(古参社長が復活した一部上場企業(キャノンやユニクロ等)がいくつかありましたが、実態はこのケースに近いのではないかと)。
三つ目の「無理にでも神輿を担いでもらう」は、まさに「「頑張らなければいけない」空気に、人が組織で取り囲まれる怖さ-渡辺美樹氏、木村剛氏を観察した私の経験から - 石井 孝明」の記事の例が該当するのではないかと。
歩合給や実績給等のインセンティブやストックオプション・独立支援といった、ストレートに「馬の鼻に人参」をつけ、皆が神輿を担ぐモチベーションを上げる施策を取る会社も見受けられます※。しかしそれとれ原資があればこそ可能な仕組みで有り、業績に陰りが出てくると、どんどん人参が小さくなっていき、先に上げたように馬は走る事をしなくなるでしょう。
※外資系の会社では良く聞く話です。例えばインセンティブが想像を絶するほどでかい代わりに、年次予算を達成出来なければリストラと行った具合で、厳しくも制度としてはある意味分かり易い施策を取っている例を複数の会社で聞いています。
■祭りが終わる事を受け入れられない経営者
経営者が賢い人間であるか、又は賢いブレーンが側近に付いていれば、事業や業績の変化にあわせて神輿を担ぐのを休む、神輿を担げるほど熱くなれるような、別のビジネスの種をまくといった施策を一生懸命考えるのでしょうが、必ずしも賢いケースばかりではないようです。
この記事を全部平易に読むと、金持ちは単なる悪人と書いている様にしか見えませんが、実際には「金持ちは自分を悪人等とは思っておらず、自分の生き様や、やり方が正しい」と信じて疑わない人=罪悪感も感じない人たちが多いのではないかと。その信念がその人を成功に誘った事も事実なのでしょうが。
こちらはまるで上記の記事を裏返したような内容です。特に「不公平に憤って結果的に損をしやすい」というところが切ない...
他人への感受性が弱まる事で、経営者の信念として祭りでもないのに「神輿を担ぎ続ける事を強要する」事を止められず、「神輿が担げない人を退場」させ続けていたら、それを誰が止められるのでしょうか。
業績が下がれば株主や銀行が止めるのでしょうし、コンプライアンス違反であれば、行政がそれを止めるのでしょうが、これらの要因で止まる見込みが無ければ、神輿を担ぐ人がいなくなったとき、経営者ははじめて「神輿を担ぎ続ける事を強要していた」事に気がつくのでしょう。
ちなみにこの記事は、次に投稿しようと考えている記事「流れに逆らうより流れに乗ってみる」と関連があります。それぞれ矛盾するところも出てくるだろうと考えていますが、どちらも自分が経験した偽らざる事実であり、物事を多面的に考える証左になるとも考え、敢えて記載をすることにします。
この記事はかなり心に響きました。何故なら自分も「転職7回目の職場」で似たような経験をしているからです。
■キレ者の社長と神輿担ぎ
このとき勤めていた出向先の社長は、常人の100倍くらい頭の回転が早いんではないかと思うくらいキレの良い人で、かつ仕事以外のところでは大変気さくな方でした。しかし仕事では一切の妥協を許さず、役員だろうが平社員であろうが役職問わず詰めが甘いところがあれば直で社長に締められ、また社長自身もいわゆるワーカーホリックで、自ら「誰よりも自分が仕事をしている」という思いを隠さず、またその仕事っぷりも誰もが認める「隙のない」方でした。
そんな社長のもと、主に創業メンバーや、創業前後から仕事に関わっているメンバーは、社長の才能に惚れ、又は尊敬し、皆で一丸となって時間を忘れ仕事をしていました。自分も当初は「しかし実態はIT土方」に書いたようにしんどい思いをしていましたが、その後「人間「システム監視マシーン」からの脱出」に書いた通り、自分の仕事の進め方を認めてもらえてからは、プロパー社員の皆さんの輪に加わって仕事に突っ走っていました。
業績もボーナスもガンガンあがり、雰囲気としては、お祭りなどで皆で神輿を担いでいるような高揚感に近いものがありましたね。実際には、神輿ではなく「社長」を担いでいたと言う事でしょう。
会社の調子がいい時は、このような勢いで行けるところまで行ってしまえというノリは、個人的には許容されるものだと考えます。
が、それだけで業績が永続的に上がり続けるほど、世の中は甘くありません。例えばリーマンショック等、自社のビジネスに直接影響が無い外的な事象であるにもかかわらず、巡り巡って自社の業績に影響を及ぼす等という事は普通にあり得る事です。
■祭りの終わり
このようなことが起きると、それまで熱くなっていたのがすーっと覚めてしまい、良くも悪くも冷静にモノを判断出来るようになってしまいます。誰しも勝ち馬に乗っている時は明るい将来を夢見て、多少の無理があっても感覚が麻痺するかのごとく勢いで突っ走れるのですが、一度冷静になってしまうと、それが苦痛以外の何者でもなくなってしまうのです。先に取り上げた「転職7回目の職場」でも、業績の伸び方が落ち着いてくるに従い、上記のように感じる社員が増えていき、最終的には中堅社員が纏まって退職していったのではないかと思います。
また、比較的少人数でビジネスをやっているうちは、同じ勢いや志を持って仕事に望む事もそれほど難しくはないのでしょうが、社員数が増えていろいろな思いや背景、事情を抱える人が増えれば増えるほど、仕事に望む姿勢も十人十色となり、経営者の思いを共有する事が困難になると考えられます。
教科書通りの回答であれば、単なる思いだけでは伝わらないところに、仕事へのポリシーやルール等の仕組みを作り、そこに思いをしみ込ませ会社の隅々まで行き渡らせるよう努力するのでしょう。
しかしそのポリシーやルールが「神輿を担ぐ事」を前提にしていると、当然それに乗り切れない人たちも出てくる訳で、そうなるとポリシーやルールを「神輿を担ぐほど負担がかからないよう、山車を引く程度にしておく」ように改めるか、「神輿が担げない人は退場」させるか、または「無理にでも神輿を担いでもらう」のいずれかになると思われます。
■無理矢理祭りを続ける?
具体的には、ひとつ目の「神輿を担ぐほど負担がかからないよう、山車を引く程度にしておく」ようにルールやポリシーが改められることは、経営者のポリシーを曲げる事にもなりかねない為、経営者が交代する等のドラスティックな出来事がきっかけにならないとなかなか起き得ないと考えられます。
二つ目の「神輿が担げない人を退場」させるケースは、給与Downや降格、配置転換等が考えれますが、これは末端の社員に適用される事はあまり無く、管理職以上の職階の人間に適用される事が殆どと思われます(古参社長が復活した一部上場企業(キャノンやユニクロ等)がいくつかありましたが、実態はこのケースに近いのではないかと)。
三つ目の「無理にでも神輿を担いでもらう」は、まさに「「頑張らなければいけない」空気に、人が組織で取り囲まれる怖さ-渡辺美樹氏、木村剛氏を観察した私の経験から - 石井 孝明」の記事の例が該当するのではないかと。
歩合給や実績給等のインセンティブやストックオプション・独立支援といった、ストレートに「馬の鼻に人参」をつけ、皆が神輿を担ぐモチベーションを上げる施策を取る会社も見受けられます※。しかしそれとれ原資があればこそ可能な仕組みで有り、業績に陰りが出てくると、どんどん人参が小さくなっていき、先に上げたように馬は走る事をしなくなるでしょう。
※外資系の会社では良く聞く話です。例えばインセンティブが想像を絶するほどでかい代わりに、年次予算を達成出来なければリストラと行った具合で、厳しくも制度としてはある意味分かり易い施策を取っている例を複数の会社で聞いています。
■祭りが終わる事を受け入れられない経営者
経営者が賢い人間であるか、又は賢いブレーンが側近に付いていれば、事業や業績の変化にあわせて神輿を担ぐのを休む、神輿を担げるほど熱くなれるような、別のビジネスの種をまくといった施策を一生懸命考えるのでしょうが、必ずしも賢いケースばかりではないようです。
この記事を全部平易に読むと、金持ちは単なる悪人と書いている様にしか見えませんが、実際には「金持ちは自分を悪人等とは思っておらず、自分の生き様や、やり方が正しい」と信じて疑わない人=罪悪感も感じない人たちが多いのではないかと。その信念がその人を成功に誘った事も事実なのでしょうが。
こちらはまるで上記の記事を裏返したような内容です。特に「不公平に憤って結果的に損をしやすい」というところが切ない...
他人への感受性が弱まる事で、経営者の信念として祭りでもないのに「神輿を担ぎ続ける事を強要する」事を止められず、「神輿が担げない人を退場」させ続けていたら、それを誰が止められるのでしょうか。
業績が下がれば株主や銀行が止めるのでしょうし、コンプライアンス違反であれば、行政がそれを止めるのでしょうが、これらの要因で止まる見込みが無ければ、神輿を担ぐ人がいなくなったとき、経営者ははじめて「神輿を担ぎ続ける事を強要していた」事に気がつくのでしょう。
ちなみにこの記事は、次に投稿しようと考えている記事「流れに逆らうより流れに乗ってみる」と関連があります。それぞれ矛盾するところも出てくるだろうと考えていますが、どちらも自分が経験した偽らざる事実であり、物事を多面的に考える証左になるとも考え、敢えて記載をすることにします。
大変共感です
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