はじめてのリストラ

倒産してしまった会社から事業譲渡を受けた会社は、システム保守系(ETLツールやバッチ処理、システム監視等)のパッケージを取り扱う、どちらかというとマイナーな外資系の会社でした。

譲渡が完了する前に移動予定の社員がOfficeに呼ばれ、労務規程や待遇・福利厚生、またこれまで担当していた業務に関する今後の方針等の説明会がありました。とりあえず前職での待遇は保証されるとの事で皆一様にほっとしたところで、しばらくの自宅待機期間を経た後という事もあり、ちょっとした同窓会のような雰囲気となりました。
が、これまでとは異なる高層ビルの上層階が所在地となるOfficeへの初出社の日から、想定外の出来事が容赦なく押し寄せてくるのでした・・・

■想定外 その1

前回の投稿にも書きましたが、前の会社が倒産したときに「中規模業者の製造/販売管理システム開発」のプログラマを担当していたのですが、出社後ある事にきがつきました。

あれ?確か説明会のときにいたのに?
・・・PM※がいない?
え、聞いてないよ?聞いてない・・・

※書くまでも無いとは思いますが、PM = Project Managerです。
どうやら初出勤日の直前に、突然別の会社への転職を決めたとのことで・・・
このプロジェクトでは開発環境にDelphiを使っていたのですが、主要な業務ロジックは全てPMがコンポーネントとして開発しており、また転職も突然だった為、当然一切の引き継ぎを行う事が出来ず、コンポーネントのメンテナンスは事実上困難な状態に・・・
ここでプロジェクトは完全にStop。只でさえ前の会社の倒産を被ったお客様は更にぶち切れ。

Delphiでの開発は、まだまだ開発中の段階でテストフェーズにも入っていなかった為、それまでのコードは捨て、PMも営業譲渡に伴い移動した別のマネージャが担当し、一から仕切り直しをする事になりました。

■想定外 その2

突貫で営業譲渡を決めたからなのか、デューデリが甘かったのか、はたまたその両方だったのか定かではありませんが、
自分たちが移動した後半年経たずに、海外本社の決定でリストラ発動。

営業譲渡後10名強いた営業担当の殆どが網にかかり、残ったのは2名のみ。エンジニアも営業譲渡前にパッケージビジネス担当を中心に数名が対象となりました。
リストラの進め方もまた非常にドラスティックで、2週間程度の期間で所属部長との面接を2回実施の後、段ボールに個人の荷物をまとめ完全退去まで、Totalで1ヶ月かからず全行程完了と、まさに外資を地でいく直球リストラであり、幸い自分は網にかからなかったものの、あまりにも進みが早くて退職予定者とろくに話も出来ませんでした。

網にかかった人は、倒産から間髪入れずの出来事に抵抗する気力も起きず、「もうどうにでもなれー」という感じだったらしいです。

■想定外 その3

上に書いたリストラには、幸い自分は引っかからなかったのですが、何と「■想定外 その1」で代任PMとなったマネージャがリストラの網にかかってしまいました。
じゃあその後誰がPMになったの?ってお話になるのですが、なんと自分のところに次のお鉢が回って来たのです(!)
その時の気分はまるで「すでに指すところが1カ所しか空いていない黒ひげ危機一発がまわってきました」と言う感じで、それはもう自分のライフを残り1まで削ぐのに十分なインパクトでした・・・

と、いつになく赤色大文字の多い内容となってしまいましたが、その前の勤め先が倒産したときのインパクトに上っ被せで3連コンボを喰らい、瀕死の状態を自分なりの表現で書くとこんな感じに。

その後何とか状況を立て直そうと気を持ち直して仕事に当たったのですが、この時は後にとどめに近いダメージを受ける出来事が起きるとは想像も出来ませんでした。
その出来事については、次の投稿で。

ここまでご覧頂き、有り難うございます。
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