前回の投稿で、無限「皿回し」オペレーターのお仕事からの脱出するきっかけを掴み、それまで十分に整備されていなかったネット運用環境の設計に着手したところまで書きましたが、その後しばらくの間は仕事が順調に進みました。
それまで開発部門とインフラ部門は、仲違いをしているわけではないのですが、かといって密にコミュニケーションが取れていたわけではなく、お互い何となく距離をとって仕事をしているような状態でした。しかしこの仕事のアサインをきっかけに、喫煙所で救いの手を差し伸べてくれた開発部門の社員と自分が部門間の橋渡しをするような形になり、必要に応じて部門間をまたいで仕事を進める事が出来るようになりました。
例えば、障害が発生した際にインフラ、プログラムコードの両方が疑われる状況の場合、それまではまずインフラ部門で出来る事をしてから開発部門に情報を展開する直列的な流れだったのが、障害時の情報収集手段と収集内容、および部署内やベンダーへの展開方法を標準化した事で、インフラと開発が並列に動く事が出来るようになりました。
また、お客様向けの新しいサービスを企画する際にも、従前開発部門主導だったところにインフラ部門も企画・設計段階から参画するようになり、それまではキャパシティプランや運用計画が後付けとなってしまい、運用にしわ寄せが来たり思わぬ障害の原因になったりしていた部分が徐々に改善されていきました。
開発部門も、それまでは部門評価の基準がサービスの新規開発であったところが、インフラ部門で収集したシステム負荷情報や指標を元にプログラムコードのチューニングを実施する事で、サーバの負荷が低減すると、負荷低減分のシステム投資コストが削減された事として評価されるようになりました。
これらの改善内容が目に見えて効果を発揮するまで概ね1年強掛かりましたが、おかげで無限「皿回し」オペレーターとしての仕事をしなければならない時間を格段に減らす事が出来ました。
しかし、いよいよネットベンチャーブームがピークを迎えようとする頃には、今度は片手で鉛筆をなめながらもう一方の手で皿を回さなければならないような状況に陥っていきました。
一例としてSBI証券の開示情報からネット証券の口座開設数推移グラフを引用します。開業から2003年の半ばまでの口座開設数は比較的緩やかな上昇であったのが、2004年から2006年にかけてはそれまでの倍以上の勢いで急上昇している事がお分かり頂けると思います。
ネットベンチャーブームは先のネット証券のみではなく、国内株式に関連する金融商品を扱う業者に少なからず影響を与えました。当然自分の出向先もそのあおりを食い、一番ひどいときには半年弱くらいの間以下のようなタスクを繰り返していました。
といった具合で、毎週毎週システム増強をしても焼け石に水状況が続き、開発部門も血眼になってコンマ1秒、コンマ1%単位※で負荷を落としていくアプリケーションチューニングに明け暮れていました。
それまで開発部門とインフラ部門は、仲違いをしているわけではないのですが、かといって密にコミュニケーションが取れていたわけではなく、お互い何となく距離をとって仕事をしているような状態でした。しかしこの仕事のアサインをきっかけに、喫煙所で救いの手を差し伸べてくれた開発部門の社員と自分が部門間の橋渡しをするような形になり、必要に応じて部門間をまたいで仕事を進める事が出来るようになりました。
例えば、障害が発生した際にインフラ、プログラムコードの両方が疑われる状況の場合、それまではまずインフラ部門で出来る事をしてから開発部門に情報を展開する直列的な流れだったのが、障害時の情報収集手段と収集内容、および部署内やベンダーへの展開方法を標準化した事で、インフラと開発が並列に動く事が出来るようになりました。
また、お客様向けの新しいサービスを企画する際にも、従前開発部門主導だったところにインフラ部門も企画・設計段階から参画するようになり、それまではキャパシティプランや運用計画が後付けとなってしまい、運用にしわ寄せが来たり思わぬ障害の原因になったりしていた部分が徐々に改善されていきました。
開発部門も、それまでは部門評価の基準がサービスの新規開発であったところが、インフラ部門で収集したシステム負荷情報や指標を元にプログラムコードのチューニングを実施する事で、サーバの負荷が低減すると、負荷低減分のシステム投資コストが削減された事として評価されるようになりました。
これらの改善内容が目に見えて効果を発揮するまで概ね1年強掛かりましたが、おかげで無限「皿回し」オペレーターとしての仕事をしなければならない時間を格段に減らす事が出来ました。
しかし、いよいよネットベンチャーブームがピークを迎えようとする頃には、今度は片手で鉛筆をなめながらもう一方の手で皿を回さなければならないような状況に陥っていきました。
一例としてSBI証券の開示情報からネット証券の口座開設数推移グラフを引用します。開業から2003年の半ばまでの口座開設数は比較的緩やかな上昇であったのが、2004年から2006年にかけてはそれまでの倍以上の勢いで急上昇している事がお分かり頂けると思います。
ネットベンチャーブームは先のネット証券のみではなく、国内株式に関連する金融商品を扱う業者に少なからず影響を与えました。当然自分の出向先もそのあおりを食い、一番ひどいときには半年弱くらいの間以下のようなタスクを繰り返していました。
- お客様のお取引が増え、サーバが高負荷となり、サービス品質劣化(処理遅延/レスポンス悪化等)
- 過去のお取引の増加量から以降の伸び率を推測し、キャパシティプランを立てる(1日で、かつ「皿回し」運用をしながら)
- プラン内容に基づき、サーバ増強を実施すべくベンダーから見積もりを取り、出向先社員の代行で稟議を起す(1日で)
- 稟議決済され、ベンダーへサーバを発注する(稟議起票から社長決裁までも超特急で進めてもらい、1日で)
- 週末に納品されたサーバを導入する(納期1週間などは許されず、国内から在庫をかき集めてもらい、何とか週末までに納品してもらう)
- だがしかし週明けには、2.のキャパシティプランをあざ笑うかのようにお客様のお取引が増加し、再びサーバは高負荷に
- 再度「皿回し」運用をしつつキャパシティプランを立て、3.に戻る
といった具合で、毎週毎週システム増強をしても焼け石に水状況が続き、開発部門も血眼になってコンマ1秒、コンマ1%単位※で負荷を落としていくアプリケーションチューニングに明け暮れていました。
※コンマ1秒であっても、例えばその処理がMaxで秒間1000回呼び出される内容であれば、負荷削減に貢献する可能性が高い。
上に書いたような状態が続いているような状況ではサーバルームに段ボールを引いて寝るような日が続き、またここまでひどくはないものの、先のグラフで口座開設数が大きく盛り上がっている2年間は、ライブドアショックをきっかけに幕が下ろされるまで、まさに「システム負荷」との戦いに明け暮れてあっという間に過ぎ去っていったのでした。
次回の投稿では、険悪化したインフラ社員との関係がどうなったのか、そしてその後はじめて管理職に昇格したお話を書こうと思います。