入社後はWindows系のシステムでイントラネットを構築する部門に所属し、当初はシステム導入からちょっとしたASPでの開発、導入後の教育までと、要件定義からリリースまでの一通りのプロセスを踏む案件にいくつか携わる事が出来ました。
また、「SQL Serverに詳しいなら、Oracleもすぐ出来るよ」なんて上長に言われて、既にバックエンドにOracleが導入されているところに上被せでIISとASPで簡易フロントエンドを作り込むような案件を担当することで、OracleもSQL Server以上にいじりがいがある事が分かり、またしてもその奥深さにズブズブはまるのでした(といいつつ、PL/SQLは苦手)。
そんな中、未だに忘れられずたまに夢見る修羅場も経験しました。
大手製造企業の研究開発部門での予算管理をするアプリケーションをWebベースで作り込んでもらいたいというお話があり、自分がPM・設計・インフラを担当し、コードは外注業者に書いてもらうという体制でプロジェクトが開始されました。開発ボリュームは9人月程度の比較的小規模なシステムで、1.5人月程度で設計し、残りをコーディングとテストに使うという案配でした。
プロジェクト開始後1ヶ月程度で画面設計〜遷移図・ER図をドラフトレベルまで持って行き、外注業者側のSEさんに説明の上コーディングに着手してもらう事にしました。
今思えば既にその時点で、SEさんは青い顔をして小刻みに震えていたような気がします。
さてその理由は何だったのでしょう。
また、「SQL Serverに詳しいなら、Oracleもすぐ出来るよ」なんて上長に言われて、既にバックエンドにOracleが導入されているところに上被せでIISとASPで簡易フロントエンドを作り込むような案件を担当することで、OracleもSQL Server以上にいじりがいがある事が分かり、またしてもその奥深さにズブズブはまるのでした(といいつつ、PL/SQLは苦手)。
そんな中、未だに忘れられずたまに夢見る修羅場も経験しました。
大手製造企業の研究開発部門での予算管理をするアプリケーションをWebベースで作り込んでもらいたいというお話があり、自分がPM・設計・インフラを担当し、コードは外注業者に書いてもらうという体制でプロジェクトが開始されました。開発ボリュームは9人月程度の比較的小規模なシステムで、1.5人月程度で設計し、残りをコーディングとテストに使うという案配でした。
プロジェクト開始後1ヶ月程度で画面設計〜遷移図・ER図をドラフトレベルまで持って行き、外注業者側のSEさんに説明の上コーディングに着手してもらう事にしました。
今思えば既にその時点で、SEさんは青い顔をして小刻みに震えていたような気がします。
さてその理由は何だったのでしょう。
- 当初の話では、VBでの開発経験はそこそこにあると聞いていたものの、実はASPについてはあまり詳しくなかった
- そもそもWebベースでの開発になれていなかった
- 基本設計書に記載される画面数やテーブル数が、委託先が想像した以上のボリュームだった
- 1〜3の全部入り(ベーススキルを勘案すると、設計書見た瞬間スケジュールの破綻が予想されるレベル)
その後、2週間程度のちにSEさんと連絡が取れなくなりました。
受注元からの若干の修正指示を反映した更新資料を送付しても返信はなく、外注業者へ電話をしたところ「体調不良でお休みです」とのこと。
1週間たっても音沙汰がなかったのでさすがに心配になり、再度外注業者に電話をしたところ、何故か外注業者の社長に電話が回され、「体調不良を引きずっているが、業務は社内で進捗しています」との報告を受けました。
受注元からの若干の修正指示を反映した更新資料を送付しても返信はなく、外注業者へ電話をしたところ「体調不良でお休みです」とのこと。
1週間たっても音沙汰がなかったのでさすがに心配になり、再度外注業者に電話をしたところ、何故か外注業者の社長に電話が回され、「体調不良を引きずっているが、業務は社内で進捗しています」との報告を受けました。
何とも言えない不安を抱えつつ、「先方の社長が言うなら大丈夫だろう」と連絡を待っていたところ、 週明けに外注業者の社長が来社し、やけくそ気味にこう言い放ちました。
泣く泣く社内に応援を求め、諸先輩方に多大な迷惑をかけつつ、コーディングからデバッグまでの一連の作業を手伝ってもらい、ほぼ2か月程度、毎日終電を超えたり越えなかったりしながら、何とか仕事をやっつけたのでした。
- 担当のSEが行方不明になっており、一生懸命探しているが、電話もつながらないし、自宅にもいない
- 仕事の進捗状況は、実は担当SEが握っており、どこまでどう進んでいるか全くわからない
- 担当SEを代替できるような人材がいない
行方不明とかって、体調不良って話じゃなかったでしたっけ?
そんなツレナイこと言わず、
今すぐそのSEさんをここに連れてきてください!
と、吠えたところで仕事は1ミリも先に進むことはありません。
今すぐそのSEさんをここに連れてきてください!
と、吠えたところで仕事は1ミリも先に進むことはありません。
泣く泣く社内に応援を求め、諸先輩方に多大な迷惑をかけつつ、コーディングからデバッグまでの一連の作業を手伝ってもらい、ほぼ2か月程度、毎日終電を超えたり越えなかったりしながら、何とか仕事をやっつけたのでした。
ちなみに、行方不明になっていた外注業者のSEさんは、実家に逃亡していたところを発見されたようで、1か月後に会社に連れてこられ、自分たちと机を並べ、納品までの間軟禁状態で一緒に仕事をしたのでした。
外注業者が「仕事を放りだし逃亡した」事自体は言語道断であり、同情の余地はないのですが、外注業者を追い詰めるに至るまでの間、委託元の自分が出来ることが無かっただろうかと振り返ると、様々な反省すべき点が思い浮かばれ、未だに後悔の念が拭いきれないでいます。
これはこれでネタとして、別途思うところを投稿をする予定ですが、この出来事から「現場は社員だろうが外注業者だろうが関係なく、目的を共にする対等の立場であり、この原則に基づき業務を推進する」という事だけは確実に言えると思います。
交渉や喧嘩ごとは、それこそ適切にエスカレーションをしたうえで、お偉方に任せればよい話なのだと、今でも心の底に秘めながら仕事をしています。