フリーターに逆戻り

前回の投稿で給与遅配の宣告を受けた後、自分はいったいどうしたでしょうか?
はい、翌日さくっと退職をしてしまいました。

実は冬のボーナス払いでがっつり買い物をしてまして・・・なので給与遅配の話が出た瞬間もう頭の中は「やばい金払えないどうしようどうしよう」でいっぱいいっぱいになってしまい、てんぱりながら翌日から速攻で金策に走りまくりました。
取り急ぎ、昔バイトをしていたコンビニの店長に「明日からバイト復活していい?」とお願いをし、翌日からいきなりフリーター状態へ。ボーナス一括払いの支払いは残念ながらそれだけでは足りず、止む止む親に土下座して、あきれられながらも金を借り、めでたくニート状態に・・・

今なら間違いなく、やめる前に転職先を探すのですが、当時は頭が回りませんでしたね。
ちなみに入社のきっかけになった女の子は会社に残り、自分がテンパっていた事もあって何となく気まずくなってしまって、そのまま自然に逢わなくなってしまいました・・・

その後自分と同様の退職者が多量に出たそうで、社長の宣言の直前まで30人近くいた社員は、年明けてから7人まで減ってしまったと風の噂で聞きました。
そして、やめる直前まで一部の開発を担当していたスーパーファミコンのゲームは、何とか翌年の春に発売にこぎ着けたようでした。給与遅配の宣告を受けるときにはほぼ開発が終わっており、開発チームはゲームバランス調整→デバッグ→ROM焼きを延々繰り返しやっているところまで来ていたので、おそらくはそのときの状態に近いまま出荷したと思われますが、結果評判も「バランスが悪い」「バグッてる」と散々で、見事にくそゲー認定されました・・・

今振り返ってみると、ちょうどその頃バブルがはじけた影響が世に出始めたんですね。
バブル崩壊の原因は1990年の総量規制がきっかけと言われていますが、そこから1年半位して銀行の貸し渋りがはじまり、それまで社長が自宅を担保に運転資金をまわしていたらしいんですが、夏以降お金を貸してくれず、とうとうその冬に資金繰りがカツカツになってしまったという話を後で元同僚に聞きました。

下請けソフトハウスという業態自体が支払いサイトが長く、ただでさえちょっと納期が遅れただけでも結構きっつい状態になってしまうことは、今の歳になってでこそ容易に想像のつくところですが、当時はまさか自分がそんな状態に直面するとは想像もつきませんでした。


それまでは、「国や学校や会社等、自分の身の回りにある大人が作るものはちょっとやそっとじゃ仕組みがこわれたりするもんじゃない」と、漠然と思っていたのですが、バブル崩壊を身をもって体験した事で、「(自分のメンタルと一緒で)大人が作るもんでも、案外もろいものなのね」と悟り、当時の自分は勝手に大人の階段を一歩登った気になっていたのでした。


ここまでご覧頂き、有り難うございます。
当エントリを含む、就職からアラフォーの現在に至るまでの8回に渡る転職履歴について、「転職履歴」のページにまとめました。
また、これまでの転職履歴で得た経験から、仕事に向かい合う為に必要なテクニックや、メンタリティ・思いを抽出し、「お仕事サバイバル」のページにまとめ直しました。 
それぞれ、あわせてご覧頂けますと幸いです。

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