はじめての倒産

この時の勤め先は、前々回で書いた通り超えては行けない領域を突き抜けてしまったのですが、今回はそこまでに至った顛末を書き残します。

当初のこの勤め先は、国内製、海外製など数種類の業務パッケージをコアにし、そこからインテグレーションまで含めワンストップでサービスを提供する事を主たる目的としていたのですが、肝心のパッケージが当初予定通りに完成しなかったり、高い国内総販売権を払った割に全く売れなかったりと、要は外しまくりの状態であり、当初1年は元々サブ扱いだったインテグレーションが想定外に売れた事で穴が埋まっていた状態でした。

しかし経営陣はパッケージで一山当てる事をあきらめず、更に連携稼働する付帯パッケージの契約を追加で締結の上、ビジネス要員として新卒を数十人規模で採用する太っ腹ぶりでした。しかしパッケージビジネスはその後も立ち上がる事無く、やがて2年が立つ頃には、当初そこそこだったインテグレーションのビジネスにも陰りが見えて来たのでした。

しかしまだ経営陣はあきらめず、それまで締結した各パッケージの契約を更新しつつ、3年目も新卒を数十人規模で採用する太っ腹採用を継続し、当時の現場は何となく仕事が減って来て、何となくヤバげな感じはするけど、新人採用してるから大丈夫だよな?位にしか思っていませんでした。
※ちなみにここまでに書いた、勤め先が突き抜けてしまうまでの経緯は、当日勤めていた現場には殆ど漏れ聞こえてくる事がなく、退社後に当時の先輩から話を聞いて知ったのでした。

その頃自分は、Exchangeの導入支援にスポットで入ったり、また製造から物流、販売まで1社でやっている中規模業者の製造/販売管理システム開発にプログラマで入っていたりと、すっかりベンチャーの影は無く、只のシステム受託会社の1エンジニアとして仕事をしてました。

いやそうはいいつつ、仕事は楽しかったですよ。
例えば、Exchange導入支援の受託は、今は合併してしまった国内大手コンサルティングファームからの引き合いで、カットオーバー後の打ち上げでは「最安値受注賞」等という小ばかにされたような賞を頂いたお礼にビールをぶっかけそうになったり、製造/販売管理システムの開発はDelphiという、いまでいうC#のご先祖様のような開発ツールを用いており、当時シェアトップだったVisual Basicと比べあらゆる点で優れていると感じ、一時すっかり信者になってしまっていたりと、今までの仕事人生に無かった経験をさせてもらいました。


 * * * 


そんななか、「その日」はある日突然前触れも無くやって来たのでした。

あと1週間ほどでボーナス支給日だった「その日」、普通に会社に出勤すると、何故かブラインドが全て閉じられ、フロアの蛍光灯が一部しかついていないではありませんか!。

フロア全体が「ざわざわ、ざわざわ」する中ほどなく就業時間となり、部長から声をかけられ、皆がフロア内で一部明かりがついた場所に集められました。しばらくすると、社長ほか幹部がやってきました。皆疲れきった顔をしていましたが、その表情は清々しくも見えました。

そこで皆に伝えられた内容は、
  • 直前までいけそうだと思っていたスポンサーに突き放され、本日2度目の不渡りが出たのでもうアウト
  • 社員は全員本日付けで解雇、当然ボーナスはなし
  • 当月分の給料は本日までの分を、法に従って分与するが、時間がかかるかもしれない(さすがに全額ではないが、後で分配金が振り込まれた)
  • 事業は他社に営業譲渡する事となり、希望者は事業ごと他社に入社可能。手続きに最長3ヶ月程度かかる可能性があるので、手続きが完了するまでの間は失業保険を行使しつつ待機となる
  • 新卒採用で配属がFixしていなかった人員は、希望すれば第二新卒扱いで、社長のつてがある上場SI企業への斡旋が可能

ということで、新卒採用者も含め、残された社員が路頭に迷わないよう可能な限りの配慮をして頂いたようで、過去勤めていたゲーム会社で給与遅配となった時のような、自分を含む社員が狼狽している様は殆ど見られず、「来るべき時がとうとう来てしまったんだね」的な脱力ムードのなか、説明は終わったのでした。

最後に、資産保全の為にサーバやPC、社内什器を一旦全て社外に運び出すという事で、自分の机の周りやPCのLAN配線、サーバ・ラックの解体等を同僚と淡々とこなし、片付けが終わった社員から社長他の幹部に挨拶をし、会社を後にしたのでした。
サーバ・ラックを解体しながら「そういえばこのサーバって創業時に自分が組み立てたんだっけな」と過去の思い出が走馬灯のように頭をめぐり、PCや什器だけではなく、それまでの歴史までが奇麗さっぱり無くなってしまったかのような、何も無いフロアの風景に、涙があふれました。

その後自分は、倒産時に継続中だった案件ごと営業譲渡されるとの話を受け、そのまま譲渡先に移動する選択をし、失業保険を遅滞無く受けながら営業譲渡先企業からの連絡をのんびり待ちました。

ということで、自分にとっての「はじめての倒産」は、会社都合退職となった事で生活に困る事無く失業保険がすぐに受給出来たことから、自己都合退職となったゲーム会社での給与遅配が発生したときに比べ、ある意味とても会社が倒産したとは思えないくらい、時間的にも経済的にも優雅な状態で、次の仕事を迎える事となったのでした。
その後、営業譲渡先となった会社で更に想定外の事態が連発するのですが、それはまた次の投稿で。


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当エントリを含む、就職からアラフォーの現在に至るまでの8回に渡る転職履歴について、「転職履歴」のページにまとめました。
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