はじめての給料遅配、そして…

自分が何とか初仕事を終わらせたあたりで、会社の受託案件の内容が変わってきました。それまでPC98シリーズやX68000シリーズ等、PCでのゲーム開発しか受託していなかったのに、社長が「ここで一発勝負をかける」と宣言してから、ほどなくしてスーパーファミコンの開発機材とROMライタが届いたのでした。

当時はまったく空気を読めていませんでしたが、今思えばスーパーファミコンが出る頃にはPCゲームは既に落日を迎えており、受託案件も相応に減少していたと思われます。また、当時のスーパーファミコンの開発機材は1式1000万×開発に必要な台数と、PCゲームがPCさえあれば開発出来たのに比べ、とてつもなく初期投資コストが高かった為、社長もわざわざ従業員に宣言しないと腹が括れなかったんだろうな、と今更ながらに思いました。

会社の先輩方は、はじめて見るUnixワークステーション(確かSonyのNewsというマシン)と、それにつながる何故かリコーのロゴが入っていた変な形のスーパーファミコンを、あーでもないこーでもないといいながら楽しそうにいじり回していましたが、自分にはあまりに神々しくて近寄る事さえ気が引ける状態でした。

そんな中、受託案件の内容が明らかになりました。ゲームの内容はRPG、企画やキャラクターデザイン、ゲーム音楽は発注元でほぼ固まったところでうちの会社が受注し、全社員30人程度のうち半数がスーパーファミコン案件の担当という、会社始まって以来(だったらしい)の大規模案件となりました。自分もちょうど初仕事が終わったタイミングだった為、そのままこの案件に合流することになりました。

先に書いたように、初めはコマンド一つたたくにしてもビビりまくっていたのですが、開発言語自体が65816アセンブラだったこともあり、割とすぐに慣れる事が出来ました。自分はワールドマップや町の移動、コマンドやメッセージウィンドウのコントロール部分のプログラムを担当しており、スーパーファミコンのグラフィック拡大・縮小、回転機能を実装、テストする作業はなかなか楽しいものでした。

日が経つに連れて案件の進みが煮詰まって来て、「楽しい作業」なんて口が裂けても言えない状況になりつつあったある冬の日、「ここで一発勝負をかける」と社長が宣言したときと同じように全社員に集合がかかりました。
しかし社長の顔色は以前宣言をしたときの赤ら顔とは正反対に真っ青で、蚊の鳴くような声で弱々しく語られたその言葉は、自分を含め従業員全員にとって以前の宣言の何倍もインパクトのある内容でした。

「冬のボーナスは払えません」

「当月の給料も、年末までには何とか工面します」

「来月以降の給料も、現時点ではどうなるかわかりません」

マジデスカー(涙)


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